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なめんなよ?

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ついに書いた。お手柔らかに。

最近、女子の生き方的なコラムによく出会うので、ちょっと思うところを書いておきたい。
小心者なので前置きしておくが、私は女性の社会進出や男女差別その他の差別について体系的に学んだことはないし、現状を正しく把握できているわけでもない。
よってここから先の文章は、いち専業主婦がカッとなって書いた穴だらけの稚拙な文章だということを念頭に読んでいただきたい。

「女性よ、寿司も指輪も自分で買おう」というやつとか。
「『主人』と『嫁』という呼び方をやめよう」というやつとか。

言いたいことは分かる。その通りだよなあ、って思う部分もある。
でもやっぱり、反抗してしまう部分が自分の中にあって。

男性を信じきって「働かない」のは危険だから自分で「稼ごう」、っていうのは、女性の問題を経済的な面でしか捉えていない感じがして、そういう意味では全然共感できなかった。
それが、女性というより人間として「他人を頼り切るのではなく、自分で自分の生活を充実させられるようにしよう」っていう話なら、素直に「刺さるな~」ってなったんだけど。
パートナーときちんと話し合って、私たち家族の収入はこうやって確保しよう、私はこれをやりたい、あなたはこれをやりたい、じゃあどうしようかって、ちゃんと気持ちを合わせた上で収入確保は男性の担当ってことになっているんだったら、それで何も問題ないと思う。
もちろん、論全体に漂う「男性は裏切るものだ」っていう前提に対する「そんなの悲しすぎるだろ」っていう(痛い目をみたことがない)私個人の感傷的な気持ちも、少なからず働いているのだけど。
あと、そもそも私が資本主義とか経済社会とかだけを前提として生き残り方を論ずることに激しく嫌悪感を示す人間だということもかなり影響してるとは思うけど。
それでもやっぱり、ちょっと視野が狭いというか、冷静じゃない気がする。
個別の問題を論ずるにしても、前提とするのはもっと客観的な、全体的な視点であって欲しいのだ。

冷静じゃないと言えば、差別の話。
「差別についてどう思うか?」と聞かれれば、「差別なんて無くすべきだと思う」と答える人が好ましいし、そうあるべきだと思うし、私自身もそうでありたいと思っている。
でも、差別の当事者ではない人が、年がら年中差別関連のニュースにばかり目を光らせてぎゃんぎゃん叫ぶのって、どういう心理なんだろうって思う。
叩きたいだけじゃないか?叩くことで自分は正義の存在であると思い込みたいだけじゃないか?
本当に差別の問題を解消したいなら、もっと冷静な目が必要だと思う。
差別を無くすためのエンジンが差別に対する怒りであるのは十分ありえることだしそれでも良いと思うけど、それをそのままぶつけたり喚いたりすることが何の解決になるのだろうか?
差別の当事者は、被害者として叫ぶ。それは当然のことだと思う。
でもそうじゃない人が同じように叫んでるだけでは何の意味もないだろう。と思う。
語弊がある表現しかできないから、書くのがちょっと躊躇われるのだが、
正直なところ、「差別に過敏ではない」ということこそが、差別しない人間になるための素質であり、もし仮にそういう人ばっかりだったら、差別はなくなる可能性もあるんじゃないかと思うのだ。
差別の問題を見て見ぬふりすべきだということではない。でも、差別とか平等とか、そういう概念に囚われていない人、「差別何それおいしいの?」くらいの人こそ、必要なんじゃないか。
言い換えると、差別する人も、差別に反対する人も、差別という概念に囚われすぎていて、すでにどちらも「問題を解決する冷静な視点」を持ちうる可能性が極めて低いんじゃないか、ということだ。
だからこそ当事者でない人は、冷静でなくてはならないのだ。

『主人』と『嫁』の話も、女性蔑視に反対する立場から出てきた考え方だと思うが、そう決めつけてその考え方を拡散することが、「問題を解決する冷静な視点」を持った人間を減らすことになりやしないかと怖くなった。
もちろん、「主人・嫁やめよう」の考え方に救われている人は少なからずいると思う。だが、問題を解決するにはずっと被害者の立場にいるだけでは駄目なのだ。
加害者、被害者、どちらでもない人、その全てを包括した視点をもって有効な解決策を考えなくてはいけないと思うのだ。
この問題で被害者となっているのは「妻をやっている女性(の一部)」だが、この「妻をやっている女性」の中には「主人・嫁やめよう」の考え方に賛同できない人も結構いるんじゃないかと思う。もちろん、数の問題ではない。どちらの考え方も存在するということだ。

女性の社会進出が進まないのは、そこに協力しない一部の女性たち自身がいるからだという文章を読んだことがある。
同じ女性の理解がないというのは、女性の社会進出にとっては確かに致命的なことだと思う。
でもだからといって、全ての女性が社会進出に積極的であるべきだということにはならないだろう。
必要なのは自由だ。とにかく、自由であるべきなのだ。
社会進出してもいいし、しなくてもいいはずなのだ。どちらか一方が正しいなんてことは、何の前提もない場合にはありえない。言い換えれば、どちらか一方が正しいと主張した瞬間に、その主張は特定の立場に縛られるのだ。私は、その前提や立場をとっぱらって、全てが自由であること、「正しい」ことなんて一つもないことだけが「正しい」と、少なくとも心の底ではみんなが分かっている、そういう状態が健全だと思うし、どうかそういう世界であってほしいと思うのだ。
例えば経済社会や技術社会の発展という前提に立てば、性別に関係なく優れた人材がそれらの社会で活躍すべきだ。つまり、女性は社会進出すべきだし、男性も社会進出すべきだ。乱暴な言い方をすると、女性も男性も、家庭など顧みないで社会進出すべきということだ。つまりこのことに差別の問題は関係なく、ただ単純に確率の問題として、非合理的な性差別などとっぱらってより多くの人材が社会に出てきたほうが良い人材が現れる確率が高いという、ただそれだけの話だということだ。
この、ゼロでフラットな状態を改めて認識することは、差別の歴史や現状を知ることと同じくらい重要だと思う。
差別の話をする人は、このことを忘れて欲しくないのだ。
差別を無くしたいなら、まず自分自身が、特定の立場に縛られず、フラットであってほしいと思うのだ。

…と、偉そうに語ったところで、こういうコラムにばっかり反応しちゃうのは、私が専業主婦だからで。
完全に、自分の立場に囚われているわけで。。。
ただ、経済社会で活躍する女性に対しては、純粋に「かっこいいなあ~」「私はこっちで頑張るので、あなたはそっちで頑張ってください!」っていう気持ち(と、「キャリアウーマンっていう肩書き羨ましいわあ、嫉妬するわあ」っていう醜い気持ち)だけで、否定する気持ちはかけらもない。
だから、そちらも否定しないでよ、と。そういうことです。
 
こういう、他者を否定するような考えを、話したり書いたりして示すことがそもそも私の大切にしている「ゼロでフラットな立場」に矛盾する行為である気がいつもしていて、話そうとしてはやめる、書いては消す、ということを繰り返してきたのですが。
まあ、ちょっと、こういうことも思ったんだってことを、自分の記録として残すという意味で、このひっそりとしたブログなら使ってもいいかなって思ってしまいました。

お付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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天降り

今日はなんとなく落ち着かない気持ちで、午前中、専業主婦の価値や専業主婦の小遣稼ぎの方法などについて書かれている記事を読んだりしていました。
午後になって、(どんな思考回路だったのかすでに忘れたのですが)「やっぱり働くのはどうかな」「働くなら…働くなら、静岡のために働きたいなあ」と思い至りました。

そもそも大学3年生で就活を始めたときは、なんとなく「文化に興味あるし観光業界とかかっこいいよね」「接客系ならラーメン屋のホールのバイト経験生かせるかも?」というふわふわっとした気持ちを持って挑戦。
当然すぐに厳しい現実にぶち当たって挫折し、「地味な私には事務とかがいいのかもしれない…」「安定とかなんかカッコ悪いけどそれが一番なのかもしれない…」「医療や福祉は生理的に避けてきたけど、社会貢献の意味では魅力的かもしれない…」というような色んな思いが生じ、完全に方向性を見失っていた時に偶然就職サイトのメールをきっかけに前職に応募。
幸いにも拾っていただいて3年強の期間お世話になっていました。(ご縁ってやつですね。)
ただ、そんなゆらゆらした気持ちの中で唯一ブレなかった、私にとってのいわゆる「軸」といえるものが、「静岡で働きたい」という気持ちでした。実際、勤務地が静岡以外の求人には一度も応募していません。…たしか。

そして結婚を決めた時。
東京で働く相手と同居することと静岡で働き続けることの両立は不可能に近い状況で、専業主婦になりたいというかねてからの夢もあり、私はあまり抵抗なく仕事を辞めることに決めました。
「仕事を続けるなら今の仕事がいいから静岡を出ることはできない。つまり、同居するなら仕事は辞めることになるけど、東京ですぐに正社員の仕事を探すのは大変だからできないよ。もちろん出産や育児のことも気にかかるし。ちなみに、あなたが転職して静岡で同居するっていう選択肢もあるよ?」という私の(「~できない」ばっかりの)主張を、相手が受け入れてくれたおかげでもあります。
このことに対して私の中で少なからず「逃げるようなやり方で解決すべき課題をやり過ごしてしまった」という気持ちがあり、これが、念願の専業主婦になれたのに私がもやもやし続けている理由の一つにもなっている気がします。他にも、女性の社会進出推進による専業主婦の立場の変化…とか、色んな理由があるなあとは感じているのですが。

で、冒頭に戻ります。
冷凍の唐揚げと白米、インスタントの味噌汁でランチを済ませた私は、いいことを思い出した気持ちになりました。
そうだよ!静岡で働きたい≒静岡のために働きたいという気持ちだけで就職したから、静岡を出たらやりたい仕事は見つからないと思ってたけど、東京で静岡のために働ける仕事を探せばいいんだ!と。
それで、まちおこし系のプロジェクトをやってるイケイケな会社や、静岡に本社がある企業の東京支店なんかの求人情報を探していました。

定年まで続いていたかもしれない職業人生の選択理由になっていたなんて、
わたし、へたすると結婚相手と同じくらい静岡が好きなのかもしれないと思いました。

退職時に職場の方にこんなことを言われました。
「行っちゃうんだねえ」
「はい、静岡は大好きなので出たくないんですけどね」
「そうだよねえ。でもしょうがないよねえ、静岡より好きなものができちゃったんだからねえ」

確かに、今の私にとって夫より静岡を選ぶという選択肢はありえない。
それでも、静岡のことがどうでもよくなったわけじゃない。
むしろ、静岡の外から分かる静岡の良さを感じる日々。(今住んでいる町のこともどんどん好きになっています。)
離れて分かる家族の大切さ的な。ちょっと照れくさいけどやっぱ好きだなって思う存在というか。

何かしたいな~~~
好きなもののために何かしたいな~~~

どことなく拗ねたような気持ちだったのが嘘のように、「本当に静岡のために働けるなら、フルタイムで働くための生活設計を真剣にやりたい」という気の迷い(?)まで出てきました。
この辺は夫と相談ですが。
「専業主婦になれたはいいけどなんかカッコついてない気がするから働いたほうがいいのかな」っていう後ろ向きな気持ちだったから、真剣に職を探す気にもならないし、専業主婦として堂々としていることもできなかったんだなあ、多分。
そうそう、大学生で就活してた時も「働かないとカッコつかないから就職しなきゃなあ」っていう気持ちが先行してて。前職との出会いは偶然だったけど、試験が進むうちに「ここ、肌に合ってる気がする。これを求めてた!」っていう気持ちに変わっていったんだよな。
あの時と今では、経済状況とか色々と環境は違うけれど。今ちょっとそういう、「求めてたのはこれなんじゃないか?!」っていう気持ちです。

前記事の「主婦という大人になれて嬉しい」ことと、「静岡のためなら働きたいかも」ということを、うまくハイブリッドできないか、ちょっと考え始めてみたいと思いました。

グッドグリーングラデーション

寒い、寒い。
隣の有料駐車場に住んでる猫のタマ(仮)も、車の下で四肢を体の下に収納して、じっ…としている毛玉みたいな状態でした。
寒いね。

昨日は快晴ではなかったものの、晴れていて気温もそこまで低くはなく、気持ちのいい日でした。
買い物の帰り、いつものように近所の大学の前を自転車で通ったとき、ちょうどお昼時だったので大学の目の前にあるスーパーに学生さんがたくさん出入りしていました。
「(私ってこの人たちにはどういう風に見えてるんだろ…)」
地味な色のボトムスに分厚いアウターを着て、おしゃれでもないメガネをかけ、後ろカゴの付いたママチャリを結構なスピードで漕いでいる様は、どう見ても主婦に見えてるだろうな。実際主婦だし。

もう私は彼らとは違うんだ、と、不意に思いました。

就職した時も同じことを思ったけど、その感じ方は全然違っていて、本当はまだまだ何にも社会のことを分かっていないくせに、就職したというだけで「わたし大人になったのよ」とちょっと見栄を張るような気持ちでした。
今感じているこの差異は、そういうものとはちょっと違う。
良くも悪くももう彼らと同じところには戻れないし、これから先はこれまでとは全く違う種類の喜びと苦しみが待っていて、それを受け入れて生きていくのだという気持ち。
一瞬、右側から日が差して、左側に自分の影が映りました。
自転車を漕ぐ、上半身がむっくりした人影。
後ろカゴから突き出ている、青ネギの影。

大人になった。大人になったんだ。そういう直感がありました。

そうか、私の中で大人になるっていうのはこういうことだったのかな、と思いました。
そう思ったら何だかすごく嬉しくなってきて、そうかそうか、大人になったのか、と一人で満足しました。
多分これは勘違いだけど、今の私には必要な勘違いだな、と。
もやもやし続けているよりずっといい。
これから先の色んなことを、覚悟とまでは言えないけど自覚くらいはできている。ということのような気がする。
私、大丈夫かもしれない。なんとかなるかもしれない。
そういう嬉しさだったと思います。

空を何度も見上げてにやにやするくらい嬉しかったので、ブログにも書いておこうと思いました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


もがもがもがもが

「今、何してるの?仕事は?」
最近、この質問を受けることがとても多いです。
専業主婦です、って答えると、仕事はもうしないの?って聞かれます。
正社員で転職してすぐに子供とかできて休むのは嫌なのでやるならパートですかね、って答えます。
一息に、答えます。何も言わせない、という勢いで。
理由は簡単です。相手の反応が怖いからです。

自分がやりたくて、専業主婦をやらせてもらっています。
理解を示してくれただんな様にはとても感謝しています。
それなのに、この状態で良いんだろうかって落ち着かない気持ちの自分がいます。
働く女性を見て、彼女達のほうが自分より頑張っている気がして。

だからこそ、まさにそういう女性から先述の質問をされると、本当にもやもやしてしまいます。
なんというか勝手に、卑下されているような気分になって、そのことは聞かないでくれーって思います。
一番苦しかったのは、仕事を辞めずに産休をとって子育て中の近所のママさんに質問された時でした。
彼女は仕事を辞める理由が無かった、私には仕事を辞めなければいけない事情があった、それだけのことだと自分に言い聞かせつつ、
本当はそんなのただの言い訳で、やりようはいくらでもあっただろうと、気付いてしまっている自分をひた隠しました。

専業主婦はサービス業だと思います。
みんなが休むとき、休んでいるその場所=家の中で一人働かなければならない存在。
土日休みでアフターファイブも充実していた実家暮らしの社会人だった私は、そんな当然の事実になかなか気付くことができず、無自覚に苦しみ、苛立ちました。
最近ようやくそのことに気付き、それが私の仕事なんだと思ったら、それなら家事の合間の平日の昼間を私のお休みと考えて、めいっぱい好きなことをして、その分土日のご飯の支度や祝日のゴミ出しもしっかりやろうと素直に納得することができました。
子供もいない専業主婦がそんなこともできていなかったのかと言われてしまえば返す言葉もないのですが、カルチャーショックというか、
「主婦になる」ってどういうことなのか、私には理解して納得することができていなかったし、まだまだそういう部分がたくさんあるのだと思います。

そんなこんなで主婦の大変さは実感しつつも、
やはり子供もいない専業主婦は他の人と比べて時間的に余裕があることは間違いなく。
それが、このままで良いのかという気持ちを加速させる原因になっています。

ごっちゃごちゃ言ってないで、何かを始めればいいんだと思います。
お金にならないことでもいい。
何かを始めて、誰かと繋がったり新しいことを知ったりして、今の状況が良い方向に変わっていけば、
このままで良いのか、なんて考える間もないまま生活が展開されていくと思います。
だから、きっかけを見つけないといけない。作らないといけない。

結局結論が前記事と似たような感じになってますが。
何らかの形で、この気持ちにケリをつけたいです。

揺れている間に

何かをしたい。
金にならなくてもいい。金になったらなおいい。

少しでも興味のあることを挙げてったらキリがなくて、
だからこそどれにも足を踏み入れられないというか。
あれも楽しそう、これも楽しそう、っていう状態が
一番楽でいいなあって思っちゃってるっていうか。

私らしくて、
ステップアップしながら続けられて、
少しでもいいから他人の評価を受けられて、

一番難しいのは、私らしさだな。
らしさとか何のことか分かってないくせに、
いつまでも拘り続けてはぐらかしている。
誰かが与えてくれるきっかけばかり待っている。

新年だ。
目標なんて立てたくないよ。
だからただの願望をつらつらと述べて、
いつか勝手に叶えばいいのになあと、
今日も同じ一日を終わらせようとしている。