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なめんなよ?

信者と否定と博愛と

ちょっと書かせてくれよ。

愛を語るのはいいんだが、いちいちそれ以外に対する否定が伴うのは何でなの?
だから「信者」呼ばわりされて白い目で見られるんじゃないの?

黙って愛すればいいじゃない。
語るなら愛だけを語ればいいじゃない。

私の傍にいてくれた、何か足りなくてどこか突き出ている人たちは何故かみな、
根は優しくて情に厚いけれどとにかく排他主義というか、
私はその人たちが好きだけれどそういうところだけはとにかく受け入れられなくて、

それって私が博愛主義すぎるのだろうか。
私のほうがおかしいのか。
いや多分、私も彼らも度を越しているのだろう。

二者を比較して片方を愛で片方を嫌悪するという行為やそれに伴う感情が、
私には根本的に理解できないので本当に怖くてたまらない。

どちらか一方に気持ちが傾くのは当然だと思うけれど、
もう一方を否定しなければいけない理由がどこにあるんだ。
それに何の意味があるというんだ?

愛の強さの証明なのか?
格好をつけたいのか?
自分の愛さない方を愛している者は全て敵だとでも思っているのか?

結局彼らは、自分たちが逆の立場でも何とも思わないのだろう。
だから気にならないのだろう。

私は気にしすぎなのだろう。
私が弱いだけなのだろう。

だけどやっぱり許せない・・・。
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